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「葦原を流れゆくモノたち」第9回
「やっぱり、出かけるのかい?」
 叔母のミツハが細い眉を寄せて呟いた。
 しかし、このミツハの困ったような顔はいつものことだ。三つ違いの姉であるヒルメと似たところは、このきれいに弧を描いた眉だけといわれていた。目はぎょろりと妙に大きく、鼻は顔の中央に押しつけたように横に広がり、唇の薄い口はいつも上に向かって突き出されたようになっている。これらのものが下膨れのぼってりとした顔の中になんとも収まり悪く並んでいた。
 千年に一度の巫女神様と言われたヒルメと常に比べられて、誰もはっきりと口には出さないが、「どうして同じ姉妹でこれほどまでに美醜の差が出るものか」とはみんなが思っていたことだった。
 またその眉を寄せる困ったような暗い表情が、一層ミツハを醜くしていた。この人は心の底から笑ったことなどないのではないかと、母代わりに育ててもらったサギリでさえ、そんな風に思っていた。
 しかし、サギリはこの物静かな叔母が好きだった。夜寝る前には必ず、サトに伝わる様々な物語を聞かせてくれた。カムナギの家をいずれ継ぐことになっていたサギリはサトの中では特別な存在として扱われることが多かったが、ミツハはサギリを普通の子供と同じに育てようと、心を砕いてくれていた。「いずれ巫女神様になったときに、普通の暮らしを知っていた方がよいカムウラが出るのじゃないの?」というのが持論だったが、そのことでよくネサクと言い合いになったものだった。
 今から思えば、ネサクはサギリに早くカムナギとしての力を発揮してほしかったのだ。他の子供達と一緒に虫追いなどしている暇があったら、神々の声に耳を傾けろと思っていたのかも知れない。
 もしかしたら、自分が早くに死んでしまうことをなにかの理由で予感していたのかもしれない。いろいろなことがあった今ならそう思える。
 そのネサクの死後の言葉によって、サギリはサトを出ようとしている。そしてそれは、掟を破ることになるのだった。
 サトの掟を破ったものはハチブとして、以後サトの外のハチブ小屋で暮らすことを強いられる。
「長老方はなんて?」
 サギリの飾り帯に魔除けの縫い取りをしながら、ミツハが呟く。そのぼそぼそとした低い声は、家の外の風の音に負けそうだった。
「ヒルメを連れて戻ってきたら、許すことにしようって。でも出る時は皆の手前ハチブとして出ていくようにって」
 長老達が三日三晩額を付き合わせて出した結論だった。

「私はね、この歳になるまで夫を持つこともなくきてしまって、自分の子供を生むことももうないと思うけどね、サギリのことは本当に自分の子供のように思っているんだよ」
 昔語りをするときのような、ミツハの静かな声音だった。
「うん、私もヒルメのことはよく覚えていないもん。ミツハが本当のお母さんだって言われてたら、そう思ってたよ、きっと」
 寂しげなミツハを喜ばせようと、サギリは子供らしい甘え声を出したが、ミツハが自分の母親でないことは、人に言われるまでもなくわかっていたことだった。
 ミツハと自分では見えるものがまったく違う。ミツハに見えない神々と自分は話し一緒に遊ぶことができる。それは、四歳の子供の頃からわかっていた。
「いいんだよ、わかってる」
 ミツハはサギリの頭を優しくなぜて微笑んだ。
「おまえは本当にヒルメにそっくりだよ。私の子なんかであるはずがない。皆に慕われ敬われているヒルメのことが、私は誇らしかったけれど、でも、ヒルメのようになりたいと思ったことはなかったよ。ヒルメはカムナギとしてのあんなにも強い力を持っていたから、なにか大きな重荷をいつも一人で背負っているようだったよ。ヒルメが死んだと聞いたとき、私はこれでヒルメも楽になれただろうと、なんだかほっとした気持ちになったものさ。そして、おまえを育てることになって、あのヒルメのような力がおまえには身に付いていませんようにと、祈るような思いだったよ」
 ミツハは静かに話しながら、縫い上がった飾り帯をサギリの腰にきつく結びつけた。その飾り帯に、イワサクが放り出していった鉈を差し込む。ネサクの血で洗われたその刃物は、サギリの旅の守りとなるだろう。そうして支度のできたサギリの姿を見上げて、ミツハはまた微笑んだ。
「でも、おまえはどんどんヒルメにそっくりに育っていったよ。私には見えない神々と遊んでいるおまえを見て、今度はおまえがヒルメのように一人で重荷を背負うようになるのかと、とても悲しかったよ。でも、今ヒルメが本当に生きているのなら、そのヒルメを助けてやれるのはサギリしかいないってことは、私が一番よくわかっているつもりだよ」
「ありがとう」
 ミツハの言葉にか、帯を結んでくれたことにか、どちらにともつかない感じで、サギリは礼を言った。ミツハの改まった話が少し照れくさかった。
「このサトを出て北に向かうと、ミナカタノミナトという海沿いの街があることは知っているね」
 急に変わったミツハの話題に付いていけず、サギリはとっさに言葉が出なかった。
「北に二日ほど歩いたところにあるミナトだよ。春と秋に男たちが買い出しにいくだろ」
 ミナカタノミナトに行ったことはなかったが、知っていた。そこの港からは西方に向けて船が出ていて、珍しい品物がたくさん並ぶ市が立つということだった。
 年に二度の交易の男たちは、サトでは作れない便利な道具や、珍しいおもちゃなどを持ち帰った。
「知ってるよ。サヅチの兄さんが春に行ってきて、土産話をしてくれたよ。海のそばの家はみんな石でできてるんだって」
「サトを出たら、まずそのミナトに行きなさい」
 サギリは元からそのつもりだった。アシワラノヤチのサトから近い大きな集落といえば、南の山を越えた所にあるハニヤスノクボノサトか、そのミナカタノミナトの二つだ。どちらも歩いて二日ほどの行程だったが、山越えよりも川沿いに平地を海に向かって下る方が楽だろうし、それに西の土地と交流のあるミナカタノミナトの方がいろいろな情報を得るにはいいだろうと思っていた。
 しかし、ミツハの言おうとしていることは、そんなサギリの思惑とは別の所にあるらしいことは、そのひそめた口調からわかった。
「ミナカタノミナトには、ヒルメと私のもう一人の妹がいるよ」
 重大な告白をするように、ミツハはゆっくりと言った。
 ヒルメとミツハが三人姉妹だったということは、ネサクや祖母のカヤノやサトの人々の話から、知ってはいた。アキヅというその末妹は、サギリの生まれる前に、交易にやってきたよそ者と結婚するためにサトを出たということだった。
 サトの女がよそ者と結婚してその男がサトの人間になるということは過去にもあったが、よそ者に付いて女がサトから出ていくということはあまり例がなかったらしく、サギリのまわりの大人たちはアキヅのことを死んだ者のように話していた。どういうことなのかとはっきり聞くことが悪いような気がしてサギリは、自分のもう一人の叔母は結婚してよその土地に行った末に死んでしまったのだと勝手に解釈して、自分を納得させていたのだった。
「アキヅはね、結婚してすぐの頃は西の土地をあちこち旅して歩いていたらしいけど、ちょうど十年くらい前からミナカタノミナトに家を建てて落ち着いているそうだよ」
 サトの人たちはあの子をあまりよく思っていないから言えなかったんだけどね、とミツハは少し笑った。
「なぜ、サトではアキヅのことをよく言わないの? よそ者と結婚してサトの外に出ることは掟破りじゃないでしょ?」
 サギリが疑問を口にすると、ミツハは口元の笑みを消して少し言いよどんだ。
「…ヒルメがね」
「ヒルメが?」
「ヒルメが、アキヅが外に出ることに酷く怒ったのさ。もう帰ってくるな、おまえなんかもう妹とは思わないって、怒鳴り散らしてね。大人になってから、あんなに大声を出したヒルメを私は初めて見たよ。サトの人たちもそうだったろうから、まあ、アキヅのことはヒルメのいない今になっても、ヒルメに遠慮してるってことなのかねえ」
 いなくなって、というか、つい先頃までは死んだと信じられていて十年たっても遠慮されるほどに慕われていたのだ、ヒルメは。その一の娘だと常に期待されて、サギリはずっと育ってきた。
 ときどきこっそり溜息をつきながら。シナツヒコとワカサヒコ相手に悪態を吐きながら。
 カムナギとして大きな力を持っていたヒルメのことはよく聞かされたが、それと同じ事が自分にできるとはとても思えなかった。自分にできることといえば、他の子供達より少しばかり変わった友達が見えるということだけだった。「そのお友達の言うことによーく耳を傾けて、だな」「心を澄ませていれば、本当の言葉が聞こえてくるわけですよ」シナツヒコとワカサヒコはすましてそんなことを言うが、彼らの言葉に神託としての深い意味があると思えたことはなかった。
 でも、サトの人々はことある毎にサギリとヒルメを比べ、「やっぱりヒルメの娘だからねえ」というが常だった。
 他の子より早くに読み書きができるようになったとき、かけっこでサトの誰よりも速く走れたとき、家の手伝いの水くみを毎朝やっているとき、縫い物が下手でいつまでたっても刺し子の模様をうまく縫えなかったとき、朝寝坊をしてネサクに小言を言われたとき…
 不思議なのは、よくできたときだけでなく、縫い物など人よりうまくできなかったときも「やっぱり…」と言われることだった。
 完全無欠の巫女神様と言われているかと思うと、家事が苦手で朝に弱く、気に入らないことがあるとすぐ怒るしょうがない人だったね、と思い出話を語る人もいる。
 「ヒルメって、どんな人なわけよ」サギリは自分の記憶にはない、ヒルメという母親の実像をうまく思い描けないでいた。「要するにわがままな奴だったってことですよ」「そこも含めて、ヒルメはヒルメってことだあな」ワカサヒコ達の言葉に、あたしはわがままじゃないよ! と反論して、「そういうところも、やっぱりヒルメの娘だねえって、言われちゃうわけですね」「ああ、ヒルメもよく、あたしはわがままじゃないっ! って怒ってたもんな」
 そうやりこめられて、サギリはぐったりと脱力するしかなかった。いくら自分はヒルメとは違うと思っていても、娘なのは本当なのだし、ヒルメが実際どんな人だったのか知らないのでは、いくら違うと言っても説得力がなかった。
 今回のことでも、サトの掟がどうのと言いながら、サギリがヒルメを探しに出掛けると聞いて、「やっぱりヒルメの娘だから…」とみんなが言っているのは明らかだった。「ま、サトの連中の言うことは右から左に流しておいてだ、おまえは自分のやりたいようにやればいいだろ」「そうですよ。いちいち気にしていたらキリがありません」
 口の悪い神々もときには慰めてくれることもある。

「この春の交易でミナトに行って来た人が手紙を持って来てくれてね。なにか困ったことがあったら、訪ねてきてと書いてあったよ。力になれるかもしれないからって」
 物思いに沈んだサギリの耳にミツハの声が届いた。
「困ったこと?」
 このサトに暮らしていて、困ったことがあると考えるのはどうしてだろう。サギリが思ったそのことを、ミツハも不思議に感じたらしかった。
「アキヅは、ヒルメのことをなにか知っているのかもしれないよ。それでヒルメがいなくなってそろそろ十年になる今頃になって、手紙をよこしたのかもしれないよ」
 そんな近くにずっといたのなら、会いに来てくれればいいのに、とミツハが思っているのが、サギリにはよくわかった。
「わかった。じゃあ、ミナカタノミナトに行ったら、アキヅを訪ねてみるよ」
 でも、とサギリは首を傾げた。
「アキヅは私のことを知っているかな。私が生まれる前にサトを出てしまったんでしょう? ヒルメの娘ですなんて急に行っても、信じてもらえるかな」
 サギリの言葉に、にっこりとミツハは眉尻を下げた。
「それは大丈夫。おまえの顔はヒルメにそっくりだからね。妹なら見間違いなんてないさ。それにその飾り帯の刺繍を見れば、私の仕事だときっとわかるから、心配ないよ」
 ミツハは荷物を入れた革袋の口を開いて中身を確認すると、サギリの背に手を回して背負わせてくれた。
「荷物に、ヤマブドウの干したのを入れておいたからね」
 ヤマブドウは陽に干すと甘みが増しておいしい。サギリの好物だった。
「干しブドウは日持ちがするからね。なにかの時のための非常食料だから、すぐに食べるんじゃないよ」
 嬉しそうな顔をしたサギリに、ミツハはわかったね、と釘を指した。なにかの時なんてないといいけどねえ、という呟きとともに。
「さ、行ってらっしゃい」
 サギリの尻がぽんぽんと軽く叩かれた。それは、隣の家に遊びに行ってらっしゃいと言うような調子で、サギリも思わずうんと頷いて戸口へ向かった。
「いってきます」
 戸口の外はまだ、夜の闇だった。家のそばに聳えているサトで一番の大木のびっしりと茂った葉が、ざざざっと鳴っていた。
 それが、サギリの旅の始まりだった。


(つづく)
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by chota_k | 2006-03-08 17:53 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第8回
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「こういうことなら、ネサクの身体を埋めることはできねえの」
 最初に口を開いたのは、イワサクだった。他の皆は今目の前で起こったことをどう考えたらよいかわからず互いに目配せするばかりだったので、イワサクのその言葉は不必要なほど大きく聞こえた。イワサクは血まみれの鉈をバラバラのネサクの死体のそばにごとりと投げ出すと、不機嫌そうに眉を寄せて帰っていった。
「これで龍の家もいよいよピンチですね」
「ふん、イワサクでは所詮役不足よ」
 ワカサヒコとシナツヒコが含み笑いで言う声が聞こえた。どうせ自分にしか聞こえていないとわかっていたが、サギリは声のした方を振り向き二人の神を睨み付けた。ワカサヒコ達は恐れ入ったという戯けた仕草をして、ふわりと消えてしまった。
「サギリ、今の話、信じたりしないよね」
 小さい頃から仲のいいサヅチが駆け寄ってきてサギリの肩を抱いた。それが合図のように、それまで土間の隅にかたまっていた皆が口々にしゃべりだした。
「死んだ者の言うことだから」「ネサクも今になって、そんなこと言わなくたって」「サギリがいなくなったら、この家は」「掟破りはハチブ」「ヒルメが生きて」「やっぱり」
「どうするの、サギリ」
 いつのまにかそばに座り込んでいたナミが、サギリの顔を覗き込んでいた。反対側からはナギが同じようにしている。
「うん、よく考えないとね」
「考えることなんかないんじゃない、ね、ナギ」
「うん」
 掟のことなんてこの子達は少しも頓着していないんだろうと、サギリは呆れて双子を交互に見やった。
「あんたたちねえ、あたしがいなくなったらどうすんのよ。カムウラする人がサトにいなくなっちゃうじゃないのよ」
「カムウラのことだったら心配いらないのよ、そのために私達がいるんだから」
 そっくりな顔をしてナギもうんうんと頷いている。
「そのためにって、あんた達はまだ子供でしょうが。子供がカムウラをするなんて、どこの昔話でも聞いたことがないよ。だいたい考えることなんかないなんて簡単に言うけどねえあんたたちってば…」
「大丈夫なんだってば。それが私達の役割なんだから。サギリの役目はヒルメを探すことでしょ」
 しゃべり出すと止まらないサギリを遮って、ナミが高い声で言った。
 ナミはよくこういう言い方をする。まるで、サギリには見えていない世界の成り立ちがわかっているかのようだ。そう考えると、サギリよりナミの方がよほどカムナギの素質がありそうだ。
「それにね」
 考え込んでしまったサギリの頭の中に、直接ナミの声が聞こえた。内緒の話がしたい時には、ナミはよくこうして話しかけてくる。神々の声を聞く時と同じ感覚なのでそのこと自体に驚くことはないが、ナミの内緒の話などいいことであった試しがない。
 サギリは少し緊張して、ナミを横目で睨んだ。
(十月後には、私達の子供が産まれるのよ)
「え」
 思わず声に出してしまい、慌てて口を閉じた。
(誰の子供?)
(私とナギのよ)
 平然とした笑顔でナミは下腹のあたりをそっと触った。それが本当ならとんでもないことだ。
 それが意味することを考えて、サギリは座っているその場所から地面の中に身体がめり込んでいくように感じていた。
「サギリ、サギリ」
「しっかりしてください」
 ワカサヒコとシナツヒコの声が遠く聞こえる。
「こいつらの言うことなんか、半分くらいに聞いといたらいいんだから」
「それより今は、ネサクの葬式ですよ」
 その言葉にあたりを見回すと、皆この先どうしたらいいのかわからないというふうに、ネサクの死体を真ん中に集まっている。
「半分なんて、ひどいじゃないの。シナツヒコ」
「じゃあなにか、三分の一ってか?」
「なあんですってー?」
 ナミとシナツヒコのやりとりを聞きながら、サギリは立ち上がりぱんぱんと手を打った。
「みんな、お葬式の準備を続けてください。お願いします」
 サギリが声を掛けると、ほうと一斉に息を吐き出す音がして、立ち尽くしていた若者達は動き始めた。
 ばらばらにされたネサクの死体は今度は苦労せずに棺桶の中にぴたりと収まり、血しぶきで汚れた祭壇は拭き清められた。皆で祈りを捧げ、若者達に担がれて棺桶が墓地へと家を出た頃はもう陽が西へ傾き、淡い夕闇が足元から立ち上がってきていた。


(つづく)
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by chota_k | 2006-02-25 19:25 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第7回

 皆がぽかんと見守る中、ネサクの幽霊は照れたような笑顔で囲炉裏の熾き火をつつき回した。
「おまえが帰って来る家はこっちの方じゃないだろうがよ」
 血まみれの鉈をぶら下げたまま、イワサクが唸るように言った。
「うん… こっちに来てしまったということは、俺はもう本質も龍使いではなくカムナギの家の者になっちまったということだな」
 自分でも驚いているのだというような口調だった。
「本当の抜け殻になってしまったということかね」
 イワサクが上目遣いにネサクの幽霊を睨み付けるようにして言った。
「龍使いのネサク、という意味ではな」
 はは、とネサクは笑い声を上げた。
 肩や袖の折り目がぴんと張ったカムウラの時の正装をしたネサクはとても大きく、皆は伸び上がるようにしてその幽霊の顔を見ていた。
 こんなに晴れ晴れと嬉しそうなネサクの顔は初めて見たと、サギリは思った。

 生きていた時のネサクは、いつもなにか自信のなさそうな様子で大きなその身体を小さく見せようとするかのように猫背で俯いているのが常だった。それがもともとそういう性分なのか、異端の家からカムナギの家へ婿入りしたことによるものなのかは、わからない。ただその無口で控えめなところが皆に好かれてもきたのだった。
「儂は今まで、正しく血を引き継ぐ者であるサギリが成人するまでと思って、カムナギの家を守ってきた。所詮この身体に流れているのは龍使いの血。いくらカムウラをしきたり通りの所作で繰り返したとて、本当のカムナギのようにこの土地の神々の声が聞こえるはずもない。自分にカムナギの力が千分の一でもあったらどんなにかいいだろうと思わない日はなかった。来年にはサギリを成人させ、儂は龍使いの家に戻ろうかと考えていたが」
 一様にぽかんとした顔で自分を見上げている者達に向かって一気にしゃべったネサクはそこで口をつぐみ、サギリに向かって手招きをした。
「サギリ、こっちに来なさい」
 いつもは上がることを禁じられている囲炉裏のそばの円座を指さしていた。その場にいた皆が一斉に自分の方に振り返り、サギリは首を竦めて土間を横切った。ワカサヒコとシナツヒコがなにやらぶつぶつ言い、やれやれと溜息をつくのが聞こえた。
「よいかサギリ、よく聞け」
 ネサクは少し背を丸めるようにしてサギリの目を覗き込んだ。そのネサクの眉と眉の間に、ほんの少し迷うような影が差すのをサギリは見逃さなかった。
 今ネサクはなにか重大なことを告げようとしている。そして、そのことをサギリがちゃんと受け止められるかどうかを心配しているのだ。サギリは「大丈夫」という気持ちを込めて頷いてみせた。思いもかけず急死したネサクに心配を掛けたくないという気持ちと、一人前に扱ってもらったことへの精一杯のお返しのつもりだった。
 サギリが頷いたのを見て眉を開いたネサクは、居住まいを正して口を開いた。
「お前の母ヒルメは生きているぞ」
 ネサクのこの短い言葉は、サギリだけでなくその場にいた者達みんなを驚かせた。十数人の人間が息を吸う音が、ざわりと高い天井に響いた。
「お前が十五になってもまだ自分が帰らない場合は本当のことを話すようにと言い残して、ヒルメは十年前一人で旅立ったのだ。なぜかは儂にはわからない。止めはしたが、譲るヒルメではなかった。この土地の外で起こりつつあることを確かめねばとだけ言っていた」
 こんなふうにネサクがサギリに向かってきちんと話すことは珍しい。いつもはもっとカムウラの練習をしろという小言か、その所作について覚えねばならないことを淡々と語るだけだった。
 それでもサギリはネサクのことが好きだった。自分のただ一人の親だということもあったが、それよりも真面目にカムナギの家を守ろうとするネサクの気持ちが、好きだったのだ。
 だから今は話の内容も、もちろん驚くべきことではあったが、その大好きなネサクに一人前に扱ってもらえているそのことのほうが、サギリをどきどきさせていた。
「このようなことを、もはや死んでしまった儂が言ってもお前はどうすることもできないかもしれない。この話を掟どおりに信じないというのならそれもよい。その場合は、この家の当主となってこの土地のために祈り、神の声を皆に伝えるのだ。それが本来のお前の役割なのだから」
 死んでしまった者がその生前に秘密にしていたことを話したとしても、それによって生きている者が行動を左右されてはならないというのが、サトの掟だ。
「しかし、掟は掟として、ヒルメの後を追うかどうかは、サギリ、お前自身の判断で決めることだ。よいな、よく考えることだ」
 ネサクはサギリの頭にやさしく手を乗せて「よいな」ともう一度言うと立ち上がり、奥の座敷への戸口を身を屈めてくぐった。ネサクの大きな背中は、それきり闇に融けてゆき、この家の祖霊達が新入りを迎え入れるざわめく気配がサギリの胸に届いた。


(つづく)
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by chota_k | 2006-01-29 17:47 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第6回
 ネサクの身体は大きい。普通の大人の男たちが肩に届かないくらいの身長があり、胴回も両手が回らない太さだ。
 この大きな死体をどうなって運び出すのだろうと皆が見守る中、イワサクは帯に挟んだ鉈を取り出した。
 当惑する皆を無視して、イワサクは驚くほどの手際の良さで、ネサクの身体を切り分け始めた。大量の血が飛び散り、棺が据えられた葬儀のための祭壇は赤黒く斑に染まる。
「これだから異端の者は」
「やることがどうも生々しい」
 血しぶきの届かない隅の方に寄り集まって、他の者達はイワサクが黙々と鉈を振るうのを眉を寄せて眺めていた。
 せっかくの真っ白な衣装がみるみる赤く染まりずたずたになっていくのを見るのは、悲しかった。しかし、この鉈で切り分けることも含めて、龍使いの家のしきたりなのだと言われれば、黙っているしかなかった。

 龍使いの者達は、随分と昔に異国からこのサトにやってきて、それまでサトでは知られていなかった水を操るやり方を伝えた一族なのだ。
 自然のままに流れていた川に堤防を作り洪水を防いで、水路と水門を造って水田を整えた。また、龍神に祈り、長雨を止ませたり、日照りの時には雨を呼んだりもした。
 西方からずっと治水の術を伝えながら旅してやってきた異国の者達は、当初さらに東を目指すつもりだったらしいが、彼らを導いてきた龍神がこの土地を動かなくなってしまったのだという。
「なにか求めるものがあるとの龍神の神託によって、はるばると旅をしてきた我々だが、ここで龍神が動かなくなったということは、こここそ求めていた場所だということだ」
 見たことのない衣服を着た一族の長はサトの長老達の許しを得て、サトのはずれに社を建て龍神を祀りながら、治水管理者としてこの土地で暮らすことにしたのだった。
 数百年の間に彼らはサトの人々と交わり、血族関係もできて見かけも言葉もサトの者達と見分けが付かなくなっていたが、依然として龍使いの本家は異端の家として他の者達とは違う扱いを受けていた。
 それは、サトの祭司であるカムナギの家が、やはり水を司る祀り事をするのと無関係ではなかった。
 龍使いの者達が人間の力で水を操り治めるのと対照的に、カムナギは水や風の声を聞き、それに従うことで危険を回避し豊かに暮らす工夫をしていた。
 雨が多く川が溢れそうであれば、高台に家を移し蓄えた作物を分け合ってその年は暮らしたし、その後の水の引いた湿地にはよい稲が育った。日照りが続き土地が乾けば、それに合った作物を育て、山に入って木の実を採った。そのような自然の変化への早めの対応をするために、カムナギの予言があるのだった。
 そんな風に人間の方が自然に合わせて暮らしてきた人々にとって、自分たちの力で地形や天候を変えてしまう彼らのやり方は、まったく馴染みのないものだったのだ。その違和感は何百年たってもサトの中から消えることはなく、堤防や水門を便利に使いはするが、自分たちの本来の生活は昔ながらのカムナギの託宣によって支えられているのだと信じていた。人々はそうして龍使いの家を異端として遠ざけることで、それまでのサトの生活や信じる神々を守ったのだった。

 イワサクがやっとネサクの手足二本ずつを胴体から切り放したとき、閉めてあった木戸をするりと開けて、ネサクの幽霊が入って来た。幽霊独特の足音を立てない歩き方でネサクは自分のバラバラの死体が転がっている土間を横切り、囲炉裏の奥の座に胡座をかいた。


(つづく)
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by chota_k | 2006-01-23 10:02 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第5回
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 たくさんの明かりが灯された土間にはネサクのための棺桶が担ぎ込まれ、身体を清めてもらい死人の衣装を着せられたネサクがそこに納められようとしていた。並外れて大きいネサクの身体は、若者が五人がかりでも持ち上げるのに難儀していた。
「ああ、それを棺に入れるのは、ちょっと待ってくれないかね」
 そこへネサクの弟であるイワサクがやってきた。
「龍使いの家の当主として、悔やみを申し上げる」
 イワサクはまず、サギリの前にやってきて、勿体をつけたようにゆっくりと腰を折った。ネサクもヒルメもいない今、このカムナギの家の当主はサギリであると考えての挨拶だったが、その時そうは思わないサギリは当惑した。
「あのあの、ミツハはあっちにいます。あと、お葬式のこととかは若衆組の人に…」
 ヒルメの妹であるミツハは、結婚はせずにずっとカムナギの家にいて、サギリを育て、家の中の細々したことをやってくれていた。今となっては、カムナギの家の唯一の大人だった。
 まだ十四歳のサギリは、大人であるミツハが今後、カムナギの家の代表のような立場になると、当然のように思っていた。
 イワサクは、サギリの勘違いを薄く笑って、これからはカムナギの家のことはおまえがやるのだよと言った。
「ネサクはまだ小さかったおまえ様の代わりにと、カムナギの真似事をやっていたのさね。まだ成人には間があるとはいえ、この際、おまえ様がカムナギになるしかないのじゃないかね」
 自分の姪であるサギリに向かって「おまえ様」と、「様」をつけて呼ぶ割には、なんとはなしに人をバカにしたような物言いは、いつものことだ。
「あのあの、でもあたしはあの…」
急にカムナギの家の当主だと言われても、サギリはまだ十四になったばかりの子供だ。なにをどうしたらいいのかさっぱりわからない。
 あのあのばかり言っている自分がひどく間抜けに思えた。
「とりあえず、まずネサクの死体を我が龍使いの家に戻していただくことをお許し願いたいのさね。ネサクの死体は龍使いのしきたり通りサトの四隅に埋めねばならんのでな」
「え、あのでもネサクはカムナギだったから、この家からお葬式を出すのが決まりなんじゃ…」
「いやいや、葬式はこの家から出せばよいのさね。それはなんの不都合もないのだけどもね。その、大きな死体だけこちらにいただけないかと、そう言っているのさね。龍使いの家では代々、長男が死んだときにはその死体をその土地の脈に埋めて、龍の押さえにする決まりなのさね。いくらカムナギの家に婿入りしたといっても、ネサクが龍使いの家の長男であったということには代わりがないからの。それに、ネサクはカムナギの素質なぞこれっぽっちもなかったのだから、その本質はまだ龍使いなのだと、我々は思っておるのだがね」
 どうにも判断がつかないサギリは、シナツヒコとワカサヒコに助けを求めた。二人は見えないのをいいことに、先ほどからイワサクの両肩のあたりを漂って、おどけた百面相をしている。
「死体を渡すくらいいいんじゃないのか? 死体のあるなしに意味はねえよ」
「棺を運ぶ手間も省けますしね」
 そんな無責任なことでいいのかと思ったが、さらに助けを求めたミツハも「わからない」と首を振っている。
 大して期待もせずにナギとナミにも目を向けたが、「別に」「いいんじゃないの?」と素っ気ない答が返ってきただけだった。
 若衆組に様々な指図をしていた長老の一人も「龍使いの家のしきたりならば、しょうがないかのう」などと、心許ないことを言っている。だいたい、龍使いの家の長男が他家へ婿に出るということ自体が、例のないことなのだ。
「おまえ様に決めてもらわんことには、どうにもしようがないのだがね。うんと言ってもらえんかね」
 イワサクがいらいらとサギリに迫った。
「龍とカムナギの力の差、ですね」
「カムナギがうんと言わないと動けねえのさ、やつらは」
「土地の力ってのは、強いものですから」
 ワカサヒコ達がへらへらと言うことを聞いて、サギリは困惑しながらも決断した。いつまでもネサクの死体を間に睨み合っているわけにもいかない。
「わかりました。いいです。死体は持って行ってください」
 死体に意味はないとシナツヒコがいうように、ここにあるネサクの死体は、ただの抜け殻だということはわかっている。
 しかし、それをイワサクに渡すだけなのだと思っても、まだ生きていたときと同じ姿をしたネサクの死体を渡してしまうのは、やはり少し寂しい気持ちがした。
「そうかね。いいかね。じゃあ持っていかせてもらうかの」
 サギリの答にうんうんと頷いて、イワサクはネサクの死体を仰向けにして土間に置かせた。


(つづく)
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by chota_k | 2006-01-16 18:53 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第4回
 ネサクが死んだという知らせを聞いた時、サギリはカッと頭に血が上った。
「あんた達ってば、一体なに考えてんだよ。いっつもいっつも自分勝手なことばっかしやりやがって。結界門の外に行っちゃだめだって、あたしもミツハもネサクだって、毎日言ってただろーがよっ! それを聞こえないふりしてんだかなんだか、無視して出てって、挙げ句の果てがこの有様だよっ! ネサクが死んじまったんだよ、わかってんのかよ! 双子だからかなんだか知らないけどまわりが甘やかすのをいいことにしてさ人の話聞きもしないで、そういうことになってんの、とかなんとか二人の世界でしかわかんないようなことばっか言って毎日毎日遊んで暮らしてあたしが十の時なんかもう水くみだって薪拾いだってなんだってやってたよあたしなんか大人になったらカムナギになるんだカムウラはもうできるようになったかとかいっつもいっつもそんなことばっか言われてきてんのに同じヒルメの子供なのにどうしてあんた達はなんにも言われないで好き放題やってられるんだよあんた達はなんなんだよ双子だからって特別扱いで二人だけでこそこそこそこそしてそんなんなのにネサクはあんた達がかわいいかわいいってなんだよもうあんた達産んだせいでヒルメが死んだってのにヒルメの代わりだからとかなんとか言っちゃってあたしには早くカムナギらしくしろとかもう一年しかないぞとか小言ばっかだったのにあんた達の方がずっとずっとかわいがられてたのにそんなんなのにまたあんた達のせいで今度はネサクが死んじゃったじゃないかよあたしはあたしはあたしはあんた達ほどかわいがられてなかったかもしれないけどあたしはあたしはネサクのことは大好きだったよよく働くしあたしには厳しかったけど無理は言わなかったしちゃんと筋の通った話をしたしあたしはそんなネサクをあんた達よりずっとずっと大事に思ってたネサクが早くカムウラしなくてすむようにって思ってあたしなんか、あたしなんか、あんた達なんか…」
 最後はなにを言っているのか、自分でもわからなくなった。
 目に涙を溜めてなおもパクパクと口を開け閉めしているサギリを、叔母のミツハや隣の家のサヅチや、ワカサヒコやシナツヒコまでが「まあまあまあまあ」と宥めにかかった。
「ごめんね、サギリ。いっつも家の手伝いしなくて」
「もう碧の谷には行かないよ」
 殊勝らしくナギとナミが言う。
 そうじゃなくてー! サギリの叫びはもう声にならなかった。がっくり落とした肩を今度は違う意味で「まあまあ」とシナツヒコが叩いた。
 この二人は、いつだってこうだ。なんだかずれている。サギリはもうそれ以上言うのを諦めて涙を拭き、息を吐いた。
 ナギとナミが見ている世界は、自分が見て感じている世界とは違うものなんだろうとサギリはいつも思わされた。生まれる前から一緒の二人は、なにか物事を認識するやり方も普通の人間とは違う、四つの目で見て二つの頭で同時に考えるやり方があるようなのだった。
「双子とは、そうしたものさ」
 三年前に死んだ祖母のカヤノは、二人のそうした様子を見る度にそう言った。
 死んでからもカヤノは、祖霊達の集まる奥の座敷からじんわりと滲み出てきてはよく二人の世話を焼いている。カムナギの家には不吉とされる男女の双子が、よそへ出されることもなくこの家で大きくなれたのはカヤノのおかげだ。
「預かりものだから」
 人に二人のことでなにか言われると、カヤノはよくそんな風に言った。それはどういうことかと訊いても、うっすらと笑うばかりで答えない。白髪の小さな髷を乗せた頭を振り立てて幼いナギとナミを追い回しているその姿に、うるさいことを言う者は次第に減っていった。
 今もカヤノの幽霊は肩口のあたりの輪郭をぼやけさせながら、二人の世話を焼いている。
「ああ、ああ、そうじゃあなくて、弔いのときはこっちの帯をこう結んで」
「ナミの頭はこの色の組み紐で結うんですよ、早く結ってもらいなさい」
 人にあれこれ指図されるのをことのほか嫌うナギも、カヤノにはおとなしく従っている。サギリは自分で自分の身の始末をしながら、いつものことながらほんの少し溜息をついた。


(つづく)
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by chota_k | 2006-01-09 15:25 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第3回
 ネサクは川に流されたナギとナミを助けようとして、溺れ死んだ。

 ナギとナミはサギリの四つ違いの弟と妹だ。この双子を生んだ後、ヒルメは肥立ちが悪くて死んだと言われていた。
 二人は双子特有の能力で、サトの結界門をいつも簡単に越えてしまう。この夏の間は、北の谷の碧の淵で泳ぐのが日課だった。
 それが、淵に棲む河童の気に障ったのだという。いつもは穏やかな淵の水が、風もないのに波立って二人を下流へと押し流した。
 浮き沈みしながら流されていく二人を、ちょうどカムウラのために身体を清めにきていたネサクが見付けた。
 泡立つ川に飛び込みナギとナミをなんとか岸に押し上げたが、そこで力つきたのかネサクはそのまま流されて谷底のムラ近くの中州に、死体となって打ち上げられたらしかった。
 川で溺れたにしては、胸の中に水も入っていなかったし、川底の岩に擦れた傷も付いていなかった。ネサクを見つけたムラの若者は、だから最初、誰かが川岸で寝ていると思ったのだそうだ。
 それがサトのカムナギだと知って、知らせの者がやってきた時、サトではナギとナミが泣きながら「ネサクが、ネサクが」と繰り返していた。大人たちはその双子を宥めて話を聞き出し、ようやく事の真相が知れたというわけだった。
 ムラ人に担がれて家に運び込まれたネサクはびしょ濡れで、とても小さく見えた。サトの若衆組と娘組の者達が大勢でやってきて葬儀の支度をするのを、サギリは炊事場の水瓶のそばに立ってぼんやりと眺めていた。水瓶の中では、ナギとナミが随分と以前に捕まえてきた河童の子供がパシャンパシャンと音を立てていた。
「この子を川に返してあげた方がいいんじゃないの?」
 ふと思いついてサギリはナギにそう言った。
 本当を言うと、瓜二つな顔をしたこの兄妹は、姉であるサギリにもいまだにどちらがどちらなのか見分けがつかない。しかし「やだよ」という素気ない返事を聞いて、それがナギであることが知れた。
「あのね、この子は今に役に立つことになるのよ、きっと。そんな気がするの」
 あわててナミがそばから言葉をつなぐ。この兄妹はいつもこうだ。
「そんな気がするってねえ、あんた達はこの子のせいで溺れたんじゃないの? 河童が怒ったってきいたけど」
「違うよ」
「違うの」
 ナギとナミが同時に言った。
「この子は関係ないわ。河童は目の前にいなくなった子供のことなんて憶えちゃいないもの」
 説明してくれたのはナミの方だ。
 河童が忘れっぽいというのはよく聞く話だ。
「それじゃあなんで、淵の河童はあんた達を押し流したりしたのよ」
「眠ってるところを起こしちゃったからよ」
「それだけ?」
「それだけよ。河童があんなに浅いところで眠っているなんて、普通なら絶対ないことなんだもの。私達、底の方を見もしないでバチャバチャやったもんだから」
 河童を怒らせたことは本当に悪かったと思っているらしく、ナギもナミもそっくりな切れ長の目にそれぞれ涙を浮かべてしょんぼりしている。そのために自分達の父親が死んでしまったのだ。


(つづく)
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by chota_k | 2005-12-31 17:43 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第2回
 サギリが生まれ育ったこのサトは、アシワラノヤチノサトと呼ばれている。
 緩やかに蛇行した川に沿って開けたアシワラノヤチという湿地帯の南の外れ、三方を山に囲まれた内陸部にあった。五百戸ほどの家が川に沿って寄り集まり、この土地で一番大きい集落だ。
 アシワラノヤチは、千年前に海からやって来たデーダラボッチが地ならしをして拓いた土地と言われている。それまで山で獣達と暮らしていた人間は、そのならされた平野に降りてきて、家を建て田畑を耕し子孫を増やしたのだそうだ。
 平野のまわりには、サトの他に山の麓や谷の奥などに小さなムラが点在していたが、暮らしの中の様々な決まり事を司る長老や季節の祭を取り仕切るカムナギは、サトにしかいない。なにか決め事がある時や祭の時は、各ムラのオヤと呼ばれる者達が代表でサトにやって来て、話し合いやカムウラに加わるしきたりになっていた。
 そのようにして、特に伝えられる争いごともなく、この土地は千年の間穏やかに豊かに続いてきたのだった。この先の千年も同じように続いていくものと、アシワラノヤチの人間達は皆そうと考えることもなく、あたりまえのこととして毎日を暮らしていた。
 以前山で共にあった獣達の代わりに、ワカサヒコやシナツヒコのような川や風や様々な事物の神々が、目に見える形見えない形で人間の暮らしを守ってくれていた。そのことは言い伝えや自分達の経験から実感できることではあったが、直接それら神々と言葉を交わす能力を持つ者は限られていた。
 その神々の声を聞き、様々な予言をして、季節の祭を取り仕切るのがカムナギと呼ばれる者達の役割だ。
 カムナギの力は血で受け継がれるものと言われ、サギリの家がその代々の役割を担っている。
 ただし、その血筋を受け継いでいたのは、今はいないサギリの母ヒルメであり、父のネサクはカムナギの傍流ですらない他家からの入り婿だった。
 この十年、神々と話すことができないネサクは、ヒルメがカムウラを行っていた頃からの記録をもとにして天候や作物や流行り病の予言をしていた。
 雪の多い翌年の夏は暑くなるとか、早くに春の風が吹いたときはその分早く作物の種を蒔いた方がいいとか、川の流れが緩いときは水からの病に気を付けろとか、そのようなことが細かい文字でびっしりと書き込まれた薄い板が、ネサクの部屋には様々に分類されてぎっしりと並んでいた。
 そのカムウラは当たるときも外れるときもあったが、過去千年の間には出来の悪いカムナギの話も伝えられている。その時よりはましだろうし、なにより娘のサギリが成人するまでのことなのだからと、サトの者達はネサクのカムウラを受け入れてきた。
 それは、いつも穏やかでなんでも厭わずに良く働くネサクの人柄が好かれていたせいでもあった。

 しかし、後一年でサギリが成人するという今になって、このアシワラノヤチノサトは過去に例のない出来事に困惑することになったのだった。

 サギリの母ヒルメは十年前、サギリが四つの時に病で死んだと聞かされていた。その母が実は生きていると教えてくれたのは、父のネサクだった。
 ただし、ネサクは死んでしまってから幽霊の姿でそのことを告げに現れたのだ。


(つづく)
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by chota_k | 2005-12-24 23:49 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」第1回
むかしむかしあるところに…

ここではないどこか、今ではないいつか。
今こことは遠く遠く、時と場所を隔てたところ。
でも、どこかで繋がっている、そんな物語。


 夏の終わりの南風が空の上を渡っていく、ごおごおという音がしていた。高い木々の梢が鳴っている。月のない真っ黒な空に灰色の雲がうねうねと形を変えながら流れていた。

「サギリ、サギリよお」
「夜が明けてからにした方が、よかったのではないでしょうか」
 腰に下げた鉈の重みを気にしながら、サギリはサトの真ん中を貫く道を西へ歩いていた。通り過ぎる家の戸は細く開けられて、聞き耳をたてる人の気配が感じられる。
 ようやく夜が明けようとしているその薄闇の霧に溶けかかって、ワカサヒコとシナツヒコがうるさく話しかけた。
「いってらっしゃーい、なんつって、皆に送られてさあ」
 サトの掟を破り、ハチブとしてサトを追われる形で旅立つのだ。サギリを見送る者はいないはずだった。
「死んでしまったネサクの言うことだからって、なにもハチブにまでなることはないと思いますよ」
「ネサクは生きてる間に言う暇がなかったってだけさ」
 獣の革を三重に巻いた足はまだ痛くはなかったし、身体も汚れていなかった。夜が明けてどのような天気になるかで、そのつらさも変わってくるだろうが、今からそんなことを心配していてもしょうがない。
 サギリの回りを飛び跳ねてなにか言ってはゆらゆらと実体をなくし、行く先に現れては近づいてくる、この落ち着きのない二つの影のようなものたちも旅立ちの心細さをなくしていた。
 心細いどころか、うるさい。かなりうるさい。
 「です」「ます」とキチキチした物言いのほうがワカサヒコ、巻き舌の乱暴な言葉遣いの方がシナツヒコだ。サギリに見えている姿はどちらも十歳ほどの子供だが、彼らの実体は、千年の長きに渡ってこの土地とここに住む人間たちを見守り続けてきた神霊だった。
 ワカサヒコは川の神、シナツヒコは風の神と言われている。どちらもサギリが生まれた時からそばにいる、守り神でもあり遊び相手でもあった。
「だいたい、幽霊の言うことで行動を左右されるなっていう戒めはですね、たとえば百年前に死んだ人の幽霊が出てきて、あそこに黄金を埋めた、とかなんとか言った時に、そのことで大騒ぎしないようにっていう意味なわけですよ。そんなことをいちいち本気にしてたら日常生活が成り立たないです」
「人間は自分達で作った決まり事の本来の意味を忘れがちだからな」
「後の世の学者のみなさんが苦労するわけですよ」
「ヒルメを探してやるんだって、威張って出てけばいいのによ」
「ハチブ扱いとは長老達も融通が利かないことですねえ」
「例外を作ると後が大変ってことだろ」
「ちょっとさー、あんた達少し黙ってられないの? ハチブになるったって、前例のないことだから長老達がいろいろ考えて考えて、こうしたらいいんじゃないかって言ってくれた方法なのに、なんで今更ケチつけてんだよ。だいたい文句があるなら相談してるときに言えばいいじゃないのよ。そんときはなんにも言わないでただフワフワフワフワしてたくせに、ほんとにあたしがハチブになってサトを出ていくってときになんでそうケチつけるかなー。サトの他の人たちの手前、長老達だってあたしだって困ってんだってことぐらい分かってんでしょ。それをさー。だいたいさーあんた達って……」
 最初は潜めていた声がだんだんと高くなる。サギリは決して気が長い方ではない。考えるより先に口が動く。加えてシナツヒコ仕込みの口の悪さだ。
 ほとんど怒鳴り声と言っていいくらいの音量でなおも言い募ろうとしたサギリの口を両側からシナツヒコとワカサヒコがふさいだ。
「おい」
「声が大きすぎですよ、サギリ」
 ハチブとしてサトを出る時は、家を出てから結界門へ辿り着くまで口を開いてはいけない決まりだった。それを知っていたからサギリはこれまで口元がむずむずしながらも、二人の減らず口に我慢していたのだ。家から出てほんの百歩ほどのことだったが。
 それを思い出して、サギリはあわてて口をつぐむ。しかし、せっかく黙っていようと気をつけていたのを、サギリの性格を知り尽くしているくせに、おもしろがって煽り立てていたのはシナツヒコ達の方だ。
 納得できない気持ちで、サギリは二人の子供の姿をした神々を睨み付けた。そんなサギリの視線を受け流して、二人はなおもニヤニヤしている。
「ま、状況が違うから、別におまえは口きいたっていいんだけどよ」
「いや、口には気をつけるに越したことはないですよ。ほら」
 ワカサヒコがひらりと手で指し示した方を顧みると、今通り過ぎたばかりの四つ辻の隅に黒い影が二つ蹲っているのが、ぼんやりと見えた。どちらの頭にも角が二本ずつ付いている。
「ああいう奴らは、薄闇時になると元気付きますからね、ヘタな言質を取られると後々やっかいです」
 四つ辻の向こう、ついさっき出てきたばかりのサギリの家の生け垣のそばには、白い薄ぼんやりした影が佇んでいた。父親のネサクだった。それは風のせいか、ゆらゆらと明滅し、まるでサギリに手を振っているように見えた。
「見送りはネサクだけというわけか」
「そりゃそうですよ、ネサクが今回のことのスイッチになってるんですからね、見送りぐらいしていただかないと」
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by chota_k | 2005-12-18 16:19 | 連載小説
「葦原を流れゆくモノたち」
近日、連載開始!

週刊ペースで更新していきたいと思います。
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by chota_k | 2005-12-17 19:08 | 連載小説